前回は、CSAJ(一般社団法人 コンピュータソフトウェア協会)の理事に就任したことをお話ししました。業界の垣根が崩れる変革期においては、業界として(ある程度)まとまって活動することが必要であり、その活動に対し、私なりに貢献したいと思っています。
実は、私にはCSAJとのご縁(というよりご恩?)があり、それも今回の理事就任の伏線になっているのかもしれません。
CSAJが設立されたのは、1982年。ソフトハウス等22社により「日本パソコンソフトウェア協会(JPSA)」として設立されました。初代の会長はあの孫正義さん。1982年と言えば、PC-9801の初代が発売された年でもあります。まさにPCの、そしてPCソフトの黎明期でした。
時は流れて1996年。当時私はUCLAのビジネススクールに留学中でした。1年目と2年目の間の夏休みにQuarterdeckというパソコンソフトのメーカーでインターンをしたことは以前も書きましたが、その際に与えられたミッションは、アジアへの進出戦略。特に、日本・香港・シンガポールについて、PCソフトの市場(市場規模や流通構造)、さらに、進出の際の形態のオプション(現地法人 or 営業所、単独 or 合弁...)を調べることになりました。
色々と苦労しながらの調査となりましたが、日本に関してはかなり容易に情報を収集することができました。それはもちろん、母国であり、母語での情報収集が容易だったということもあるのですが、何よりも調査対象であるPCソフト市場について、極めて明快にまた正確にとりまとめたレポートを見つけることができたから。そう、そのレポートを発行していたのがJPSAでした。進出に関する情報に関しては、JETRO(日本貿易振興機構)が豊富に情報を提供しており、日本に関しては、ほぼ労せずして調査を終えることができました。
当時は、JPSAという団体がある、こんなにいいレポートをまとめて頂いて有難いな、ぐらいの認識しかしていなかったわけですが、それが実に約20年後に、その団体の理事に就任することになったわけですから、ご縁というのは、やはり面白いものだと感じます。