東北地方太平洋沖地震が発生してからちょうど一週間が経ちました。被災地の深刻な状況を見るにつけ、本当に心が痛みます。まず何よりも、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。また、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興を祈っています。日本にとって、国難の時期であることは論をまたないでしょう。一方で、私はこの日本という国に改めて大きな希望を見出しています。
地震が起きた日は、私は結局帰宅することができず、多くの社員と共に、会社に泊りこみました。そして多くの電車が動き出した早朝に、社員二人と共に、ようやく帰宅の途につきました。JRが全滅だったので、神田から銀座線で渋谷、そして東急東横線で横浜という目論見だったのですが、途中で京浜急行線が動き出したという情報が入り、結局、銀座線で新橋、そこから都営浅草線で泉岳寺、泉岳寺から品川まで歩いて、品川から京急というルートで朝7時頃にようやく帰宅することができました。
泉岳寺で浅草線を降り、そこから地上に出るまでには地下道を少々歩くのですが、そこには長い行列ができていました(おそらく動き出した京急線で羽田空港を出てきた人達で、ちょうど我々と逆に北に向かおうとしていました)。パニックになっても不思議ではない、そんな状況下でも皆、列を作って整然と並んでいました。決して広くはない通路で、キチンと片側をあけて。皆さんご承知のように、これは決して泉岳寺だけの光景ではありませんでした。我々自身も品川では列に並んで待つことになりました。
この未曾有の災害においても、我々が秩序を守って、譲りあって行動していることは、海外のメディアでも多く報道され、そして称賛の対象となっています。略奪も暴動もない。残念ながら食料の買い占めといった問題はありますが、周りの人間によって命を脅かされるリスクを感じることはありません。皆、耐え忍び、自分にできることを粛々と頑張っています。
そして月曜日。電車が混乱し、通勤自体が極めて困難な中でも多くの人が当然のように出勤してきました。現在では、一部体調を壊された方を除き、ほぼ全員が普段通りに出勤し、粛々と仕事をしています。
もちろん、これがマイナスに働くこともあります。耐え忍ぶことは、受け身と紙一重ですし、悪くすれば諦めにもつながります。この20年以上、日本は国としての方向性を見出すことができず、ずるずると衰退してきました。もちろん、皆できることは頑張ってきた。それでも、それなりに快適、それなりに豊かということもあって、抜本的に舵をきることはできていません。ある意味、一晩で国が変わることもある中東のジャスミン革命とは対照的とも言えるかもしれません。