ETIC.のイベントなどでちょこちょことご一緒させて頂いている孫 泰蔵さんがブログでリスクについて書いています。とても良い内容ですので、ぜひご覧ください。孫さんのブログは、記事一つ一つが深いです。拙ブログのようにさらっと読む感じではなく、記事を読むたびに色々と考えさせられます。
羽生さんの「もし人生を自動車の運転に例えるとするなら、年齢を重ねるほどアクセルをふんだほうがいいと思います。なぜなら年齢を重ねるとブレーキのかけ方がわかってくるので、ブレーキが効き過ぎる傾向になるからです。」という言葉に私も考えさせられました。私なりにも解釈を広げさせていただくと、これは年をとって、それなりに業績やら成果やらが積み重なってくると、リスクをとって得るものよりも、失うものが多いように「思えてしまう」ということにもつながるのではないかと思います。
将棋に限らずチャンピオンを目指す人は、その時点ではタイトルという失うものがないですから、果敢にリスクを取ることができます。一方で、いざチャンピオンになったらどうか。勝ったらタイトルを維持できますが、負ければタイトルを失う。そう考えると果敢に勝ちにいくのではなく、とにかく負けないことを目指すようになっても不思議ではありません。あっというような勝ち方はしないけれど、何とか負けない。場合によってのらりくらりとかわしながら、引き分けを目指すという手もあるかも知れません。ただ、こういった勝負の世界では、負けないという姿勢だけではチャンピオンを守り続けることは難しいでしょう。
お陰さまで弥生は前期に過去最高の業績を達成することができました。それではその次は? リスクをとって次なる高みを目指すのか、まあ、こんなものだと思うのか。次の高みを目指すためにはリスクをとらねばならず、それがうまくいかなければ、せっかくここまで積み上げてきたものを失うかもしれません。一方で、年齢を重ねて「ブレーキのかけ方」はわかってきていますから、リスクをとらないでも、だいたいこの程度の結果を、まあ数年間は維持することはできます。
現状に甘んじることは容易です。ですからついついそちらを選びたくなります。ただ、世の中がとてつもないスピードで進化している中での現状維持は後退以外の何物でもありません。確かに数年は何とか現状維持できるかもしれませんが、現状維持が長引けば長引くほど、その先に明るい未来を描くことは困難になります。あれ…、ということは、リスクをとると今ここまで達成したものが失われてしまうかも、という認識自体が誤っているということです。リスクをとらなくても何年後かには失われてしまうものであれば、本来はリスクをとることによるデメリットでは必ずしもない(リスクが顕在化しうるタイミングを変えているだけで、リスクそのものが変わっているわけではない)。
これまでにしたことがないこと、人と違う何かをすることによるリスク、そしてそれが顕在化した時のデメリットは大きく見えます。ただ、そのデメリットが本当にそのリスクをとることによって生まれるものなのかを今一度冷静に考える必要があります。これは私の経験則ですが、実はそのリスクをとろうがとるまいが、いずれにせよそう遠からず発生するデメリット、というケースが多いような気がします。
羽生さんの言葉は、表面上は、年齢を重ねると人間は保守的になりがちなので、と理解できます。ただ、その表裏一体で、年齢を重ねたからこそうまくリスクを取れるようになっている、とも言えます。年齢(より正確には経験)を重ねたメリット。それはリスクの目利きができ、リスクをうまく管理できるようになることです。アクセルの踏むべきポイントがわかっている、ということですね。以前本ブログでも書きましたが、"Risk is not to take but to manage"。孫さんの記事でも"Manageable"というのが一つのキーワードになっていますね。リスクを取るということは、どんなリスクでも無条件で取るということではありません。むしろ取らないで済むリスクは取らない。何らかの方法で排除できるリスクは排除し、どうしても取るべきリスクを取る。経験を重ねることのメリットは、どのリスクは排除できるか、どのリスクは取るべきかという目利きの精度が上がるということです。
逆に経験を積んでいなければ? それは孫さんも書いているようにリスクを徹底的に洗い出して、それが何を意味するのか、考え抜くしかありません。そしてその積み重ねがリスクの目利き能力につながります。