2014年04月30日

社長の引き際

このブログで記事をアップするたびに、そのハイライト部分だけを引用して、Facebookにもアップしています。前回の「社長の賞味期限」は、(私にしては)結構な「いいね!」を集めてしまったのですが、それは「私も今期末(2014/9)まで務めれば、ちょうど6年半。過去最高記録を大幅に更新して有終の美を飾り…」と思わせぶりな引用が故かもしれません。今年は4/1のApril Foolを見送ったこともあり、実のところ半ば確信犯(スイマセン…)。リンクをクリックして本文を最後までお読み頂いた方はお分かりと思いますが、実際のところはまだまだやるぞ宣言でした。

懲りずにこのトピックを続けますが、これから先の3年間で、弥生のあり方を大幅に進化させるのはいいとしても、それから先どこまで続けるべきでしょうか。前回ご紹介したFinancial Timesの記事では適切なのは「7〜10年」ということでした(ちなみに原文は"The perils of the chief who stays too long at the top"という記事なのですが、日本経済新聞での翻訳よりさらに突っ込んで書かれており、非常に面白いです)。今から3年間で、2017年4月には丸9年。うーん、10年のリミットまで結構ギリギリですね。まあ、まだ+1年の余裕はありますし、10年はあくまでも目安で絶対に越えられない壁でもありませんが。

とは言え、私個人の信条としては、ずるずるといつまでも続けるべきではないとは考えています。それは、弥生という会社であり、従業員、もちろん弥生の大事なお客さまやパートナーの皆さんに愛着がないからではありません。むしろ愛着があるからこそ。会社という器は、個人のものではありません。お客さまであり、株主であり、従業員のもの。一人の個人が墓場に持っていくべきものではありません。私がトップのバトンを次の者に渡しても、さらにその先の、先の代になっても、お客さまに価値を提供し続けられるように、そして会社としても存続し続けられるようにしなければなりません。

その観点では、特定の人間がずっとトップであり続けることには決して無視できない弊害があると考えています。このことは最近思い立ったというよりは、それこそ6年前に弥生の社長に就任する時から考えていたことです。ただ、そのとき思っていたよりは結果を出すのに時間がかかったということは前回書いた通り。それでも、いつかは引くべき時が来るという想いは変わりません(ちょっと前にインタビューに答えたのですが、その際にも同様なお話しをしました)。

もともと、私自身は前任者からバトンを引き継いでいるが故に、私自身も良い形で次に引き継がなければというのはごく自然な発想です。バトンを引き継いていくことにより、弥生の歴史が刻まれていく。それに対して難しいのは創業社長ですね。創業社長は、誰よりもその会社に対する愛着であり、想い入れがあるゆえに、なかなかバトンを渡すことができない。創業社長の想い、エネルギー、カリスマが会社を飛躍的に大きくしますが、一方で、その想いが結果的に会社の永続を難しくする可能性もあります。

テクノロジーの世界で言えば、このバトンの引き継ぎを意識的に行っているのが、マイクロソフトですね。創業者のBill Gates氏から、2000年にSteve Ballmer氏、そして今年にはSatya Nadella氏に。Appleは1990年代半ばまではCEOが頻繁に変わりましたが、1997年以降はまさにApple = Steve Job氏。2011年に逝去されましたが、それを引き継いだTim Cook氏の苦労は並大抵でないことは容易に想像ができます。これまでのところまずまず順調ですが、一時期より勢いがないと言われたりもしていますね。

こういったIT業界の巨人と自分を比較する気は全くないのですが、弥生が今後も健全に発展し、お客さまに価値を提供し続けるために、いつが自分の引き際なのか。いつまでも時間があるわけではない、という危機感を胸に、これから先の「進化期」を走り切りたいと思っています。
posted by 岡本浩一郎 at 23:00 | TrackBack(0) | 弥生
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